匂いについて

 

 

 

自分は鼻が相当良い。

5感の中で多分群を抜いて一番発達している。

その原因は分からないが、小さい頃に鼻炎を患って数年病院通いをして以来、そこから鼻の中の回路が壊れて逆に発達してしまったと思われる。だからか、よく詰まる。

 

 旅行などに行った際、その場所特有の匂いを感じる。

初めて行った街は特に。去年の夏にうどんのために初めて行った高松でも、嗅いだことないような匂いが街に漂っていた。うどんは光り輝いていて美味しかった。

スマホで高松と検索すれば、不気味な笑顔が施された高松駅やら、四国の綺麗な海を見ることができる。

でも、匂いまでは検索できない。

行ったら分かるけれど、離れたら忘れる。その場所特有の匂い。

 

 去年、香港に旅行へ行った時のことだ。

飛行機から降り、蒸し暑い外気に身体が触れたと同時に、今まで経験したことない様な匂いが僕の鼻をついた。

空港内だったからか廃棄ガスと外気が混ざり合った独特な匂いだった。

空港周辺は雲に覆われて山々が連なる簡素な景観。そこからバスで街へ向かうと、打って変わって一気にネオンや電光掲示板で光輝く国際都市といったような景観へと変わっていった。

道が進むににつれ、街が発展していく様がはっきりと見て取れる。中心部で降りると、あらゆる言語が入り混じる喧騒や、外車を乗り回す音が響いていた。

街は香水やら中心部特有の濃くて活気のある匂いがした。

あまり得意ではない種類だったが、この匂いが人々をここまでハイにさせるほど惹きつける何かがあるんだと感じ取った。

 

 次の日の市内観光で、何故か布団と枕の専門店に行った。

聞くところによると、香港で採れるゴムの性質を生かした超低反発なんちゃらかんちゃらでこれで寝るとぐっすり眠れるというので、旅行カタログなどに載るほど有名なお店らしい。

お店に入ってすぐ並べられた椅子に座らされて枕の魅力について延々と聞くという、通信販売のスタジオ観覧みたいなことをした。

説明する人の日本語が上手だなぁと思った。

本当に買う人いるのかなと思ったけれど、説明後思いのほかたくさんの人がしっかり買っていたことに驚いた。

 

当の自分はというと全く興味がなかったから、お店のふかふかのベッドの上で寝転んでいた。

そのまま布団の心地よさに体を預けてしまい、まぶたが次第に重くなっていく。その時だった。

一人のおばさんの店員さんが僕に話しかけてきた。

 

「あなた、いくつ?」

「あ、え、20です」

「20。学生さん?」

「はい」

「私の娘、同い年ね」

 

拙いが、丁寧な日本語だった。

観光客慣れしているからか、距離の詰め方がとても上手で、人見知りの僕のガードを完全に上げてしまうほどの物腰の柔らかさだった。

気づいたら自分は偉そうに頭の後ろで腕を組んで寝転がり、おばさんはベッドの縁に腰をかけて喋るというよく分からない構図になっていた。

 

「私と娘、日本大好き、セーラームーンね」

「あ、セーラームーン。姉が好きでした。」

「本当に?私たち、去年セーラームーンの個展見に東京行ったよ。そのために日本語覚えて。」

「へぇ、そうなんですか。だから日本語お上手なんですね。」

「でも日本語は特に難しいね、ひらがな、カタカナ、漢字もあるし、敬語も」

 

よく思うことだが、韓ドラの影響で韓国語を覚えたとか、そういう人たちのバイタリティの高さには本当に感心させられてしまう。

異国の文化に対する好きが興じて、終いにはその国の言語を習得してしまう。

好きだからこそ、その国の言葉でコミュニケーションを取って繋がりたくなるのだろう。

 

「東京は香港みたいね、人はいっぱいでビルは高くて、でも日本の人はなんか顔に余裕がないね」

「へぇ、そういうもんですかね」

 

香港の人から見た日本人の顔は分からないけれど、なんとなく分からなくもない気がした。

 

「うん、あなたはまだ若いから、これからまだ色々できるね~」

「まぁ、そうですね〜」

 

そろそろ時間だったからか、次の場所へ行くバスがお店の脇に着いた。

それを察してか、おばさんは立ち上がり、僕も布団から起き上がった。

あとで気づいたのだが、寝癖が付くほど寝転がっていたらしい。

 

「枕買う?」

「あ、いいです、すいません笑」

「若いから、いらないね!」

「はい!」

「あなた、頑張りなよ。人間頑張ればね、なんだってできるんだから〜」

「はい、ありがとうございます。」

 

僕はおばさんと握手して、そのままお店をあとにした。

出口で手を振ってくれたから、こっちもふり返すと、にこっと笑ってくれた。

仏のように柔和で、目元はくっきり二重で力強く、よく見たら美人なおば様だった。

 

 その後、色々な観光名所に出向いて日本へ帰国する日になったが、振り返ってみて一番心に残っていたのは、何故かあのおばさんのことだった。

おばさんの拙く丁寧な日本語は、不思議と心にスッと入り込んでしばらく離れなかった。

巨大な経済都市の一角にある、素朴な人間味に触れることができた。

飛行機の車窓から見える香港。また行く機会があったら、今度はあのお店で枕を買おうと決心した。

 

 帰りの飛行機はあっという間に感じた。機内で映画を2本見るだけで着いてしまうのだから、なんだか変な気分だった。

空港のロビーを出ると鼻を抜けるしばらく嗅いでなかった日本の匂いに、少しホッとした気持ちになった。

 

 おばさんのことは、今でもしっかり心に残っている。

香港のあの匂いをもう思い出せない。でも、きっと行けば思い出す、またいつか行った時に。

 

 

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