怒り

 

この前久しぶりに大人が大人にブチ切れるという現場を目撃した。

     

    コンビニの店員の対応が何故だか気に入らなかったらしく、50代くらいの仕事帰りのおじさんが20代後半くらいの店員にこれでもかというほど怒号を浴びせていた。イートインにいた自分を含めた周りの人の手が一瞬で止まり、全員の視線がレジに集まった。

 その人の前に自分はその店員の対応を受けていたが、コンビニ店員ならでは対応で、特に目を疑うような接客だとは感じなかった。強いて言うなら目と声が死んでいるくらいだった。

人がブチ切れる瞬間は、一瞬その場の空気が変わる。高校の頃、だるまみたいな図体をした体育の先生に、授業中ヘラヘラしていたら胸ぐらを掴まれブチ切れられたことを思い出したが、あの時は周りにいた友達に授業後笑われるだけで、社会という公共の場で人がブチ切れると、やっぱり誰も笑わないし、いい気分はしないと思った。

   

これは自分の憶測だが、店員さんには関係ないおじさんの仕事やプライベートなどで溜まった私的な怒りも含まれているだろうなと思った。多めに見積もって3割は入っていると思う。ストレスのダムが決壊してしまうほど何かあったのか、「発散」の的になった店員さんが気の毒に思った。怒りっていう感情は心底難しいものだとよく感じる。

   

いつだったか、怒りをコントロールできる人は大人だみたいな文言を目にしたことがあるが、直接的にではなく、何かに昇華できるほうがよっぽど健康的なのではと思った、それもある種の能力なのかもしれない。

   

辺りを見渡してみたら、隣のおじいさんがその光景を横目に飲酒禁止のイートインで缶ビールを気持ち良く飲み干していて、これは見ていてなんだか気持ち良かった。このおじいさんは怒りを直接的に人に撒き散らすような真似はしないだろうなと、気持ち良さそうにビールを飲む横顔を少し眺めてしまった。

 

 

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