マトリョーシカみたいな財布

 

 

なんとなく思ったことを書き留める、という趣旨のブログを始めて早数ヶ月経ちますが、当初の「溢れ出る衝動」に駆られキーボードを打ち付けていた自分の姿が遠い過去のように感じられる。
1ヶ月に1本、できる男はルールを守る。そんな気持ちも早々に薄れた。けどずっとメモで眠っていたことを発見したから書いてみる。

 

先日、レジに並んでいた時の話。
前にいた男性(30代、ヒゲメガネ、余裕のある佇まい)のハンドバックから巨大な財布が出てきました。
すると、驚くなかれ、その巨大な財布からまた中型の財布が1つ、小さな小銭入れが1つ出てきました(ここまで、所用時間30秒)。

財布を眺めていて謎の既視感に囚われた自分が想起したもの。

あの不気味な笑みをしたボーリングのピンのような人形だ。

 

マトリョーシカ

 

マトリョーシカとはロシアの民芸品の人形で、大きい人形を開けたらまたそこから同じのが出てきてどんどん小さい人形が出てくるあれだ。


男性はお釣りを受け取るとまたそれぞれの財布を一つのマトリョーシカにし、お店を後にした。

さも冷静に余裕もあり、品すら感じられた。

生まれて初めての財布の形態に驚きを隠せなかった私はしばらく考え込んだが、ある結論に達した。

 

「財布の大きさは、その人の自信の大きさに比例する。」

 

これは自分で言うのもアレですが、中々理にかなった仮説だと思う。じゃなきゃ数十秒かけ、たかが千いくらかのお会計を支払うために財布をトランスフォームさせない。

大きい財布、小さめの小銭財布で分けるなら全然分かる。それらを収納する革製の巨大なそれはなんや。また、それを入れるハンドバックがあるのも、忘れてはならない。

 

また、この仮説に当てはめると、ぴちぴちスキニーの尻ポケットからどデカイ長財布を半分以上はみ出し「飲みホー飲みホー」と鳴きながら夜の街を闊歩する男女達の生態が分かってくる。
あれは自信が過剰に誇大化した結果、尻から下心がはみ出てしまっているのです。きっとそうだ。

 

小学校の時、姉に「お前はお尻から過剰に財布をはみ出すような人になるな、アレを見ると私は殴りたくなる」と言われたことを思い出した。
当時は内容どうこうより姉のどこからか湧き上がるその凶暴性に疑問を持っていたが、22になってやっと分かったよ姉さん。

 

その姉から最近、誕生日プレゼントにステキな折りたたみ財布をもらった。ポケットにすっぽり入るくらいコンパクトで、正直とても気に入っている。
自分に自信があるなしは置いといて、こだわりの一つは持ってもいいでしょう、人間ですし。

 

書いてて思ったけどあのマトリョーシカもその人のこだわりなら何も言えないな、反省はしないけど色んな財布があるなくらいで終わり。

 

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怒り

 

この前久しぶりに大人が大人にブチ切れるという現場を目撃した。

     

    コンビニの店員の対応が何故だか気に入らなかったらしく、50代くらいの仕事帰りのおじさんが20代後半くらいの店員にこれでもかというほど怒号を浴びせていた。イートインにいた自分を含めた周りの人の手が一瞬で止まり、全員の視線がレジに集まった。

 その人の前に自分はその店員の対応を受けていたが、コンビニ店員ならでは対応で、特に目を疑うような接客だとは感じなかった。強いて言うなら目と声が死んでいるくらいだった。

人がブチ切れる瞬間は、一瞬その場の空気が変わる。高校の頃、だるまみたいな図体をした体育の先生に、授業中ヘラヘラしていたら胸ぐらを掴まれブチ切れられたことを思い出したが、あの時は周りにいた友達に授業後笑われるだけで、社会という公共の場で人がブチ切れると、やっぱり誰も笑わないし、いい気分はしないと思った。

   

これは自分の憶測だが、店員さんには関係ないおじさんの仕事やプライベートなどで溜まった私的な怒りも含まれているだろうなと思った。多めに見積もって3割は入っていると思う。ストレスのダムが決壊してしまうほど何かあったのか、「発散」の的になった店員さんが気の毒に思った。怒りっていう感情は心底難しいものだとよく感じる。

   

いつだったか、怒りをコントロールできる人は大人だみたいな文言を目にしたことがあるが、直接的にではなく、何かに昇華できるほうがよっぽど健康的なのではと思った、それもある種の能力なのかもしれない。

   

辺りを見渡してみたら、隣のおじいさんがその光景を横目に飲酒禁止のイートインで缶ビールを気持ち良く飲み干していて、これは見ていてなんだか気持ち良かった。このおじいさんは怒りを直接的に人に撒き散らすような真似はしないだろうなと、気持ち良さそうにビールを飲む横顔を少し眺めてしまった。

 

 

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山手線で見た少年

 

 

都市圏の電車に乗ると、そこに住む人達の特徴が少し分かる。

 

関西の電車に乗って感じるのはまぁよく人が喋る。満員電車で2.3人のグループが一斉に世間話をし始めたあかつきには、車内はあらゆる話題で溢れかえる。
一方、東京の電車に乗っていると沢山の人が同じような顔で携帯を見つめ、同じような顔で電車を降り、ホームを歩き過ぎるのを目にする。

 

山手線
ホーム中に響き渡るほどの大きな泣き声で泣く赤ん坊を背中に背負い、引越しでもするのかと疑うほど大きなトランクを抱えた女性が満員の階段を登ろうとしていた。
中国語で背中の赤ん坊をあやしていたから、恐らく中国の方だろう。女性は体が少し肥えており、トランクもトランクだったから、エスカレーターには乗れそうになかった。

一段一段休憩しながら両手でトランクを、背中には泣きじゃくる赤ん坊を抱え上げながら階段を登る。赤ん坊は一向に泣き止まない。
周りの人達は対照的に、まるでその光景は自分の目に写ってないかのように颯爽と階段を登って行く。後ろが少し詰まり気味になっていたからか、少しきまり悪そうに階段を登る人達。自分にはあの人混みでトランクを抱えて持ってあげる勇気と人間力はなかった。

その時だった、部活動帰りの高校生か、ウィンドブレーカーを着た集団の中から1人の少年が階段を降りていたにも関わらず、わざわざ上って来てその女性のトランクを何も言わずに持ち上げだした。
女性は最初こそ大丈夫です…と首を横に振ったものの、その少年はやめるそぶりを見せずに力強くトランクを1番上まですんなり運び上げた。

運び上げると青年は一言「では」と背中を丸め会釈し、女性は安堵したような顔で「ありがとうございます」とお礼をしたが、その時にはすでに少年は階段の1番下までまた駆け下りて行っていた。下で待っていた仲間たちに何やら茶化されていたが、その光景を見て少年がそのグループでどんなキャラなのか分かった気がした。
無機質に人が行き交うホームにしてはあまりにも眩しすぎる光景だった。

 

数日後の帰りの電車、ボケーっと車窓から海を眺めていたら、熱海辺りでマダム2人組が乗り込んできた。観光帰りか、荷物も多く席も空いてなかったため、意を決して席を譲った。マダムの片割れが猛烈にお礼を言ってくれたから、正直嬉しかった。しかし、トンネルに入ると暗くなった車窓に自分の腹立つくらいのドヤ顔が映っていて、興ざめた。早くトンネルから抜けてくれと強く思った。席を譲ったくらいでドヤ顔するなと戒めを込めたら、あの少年を思い出した。
あの時の少年の顔は何の邪念も無く、階段の1番上を真っ直ぐ向いていた。

 

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犬について

 

最近めっきり街中で大型犬を見なくなった。

広場や公園で見かける犬といえば小さくてオシャレな小型犬が多い印象だ。

 

小学生の頃まで、家でゴールデン・レトリバーという犬種の大型犬を飼っていた。名前はロッキー。

姉が犬欲しさに駄々をこねたため迎え入れたらしいが、当時赤ん坊だった自分は迎え入れた当初の記憶が何も残ってない。

しかし、写真を見せて貰ったところ、ロッキーとまだ赤ん坊の自分を一緒の檻に入れて家族みんなで面白がっているという光景がフィルム写真にまざまざと残っており、自分の家族の倫理観を本気で疑ったことがある。

案の定自分は泣いていたが、ロッキーはどうした?と言わんばかりのケロっとした表情でカメラ目線をしていた。

 

僕が小学校に入学する頃には、ロッキーの体は僕の成長速度とは比にならないくらい立派に成長した。

ゴールデン・レトリバーは小さい頃は両手で抱えれるほどのサイズで愛らしく舌をペロペロさせているのに、大きくなれば打って変わって走るたびに体毛をなびかせる勇ましい犬になる。

大きくなると家の中では無理があるため、この頃から外の小屋で飼うようになった。

正直、自分はロッキーが苦手だった。理由はシンプルに怖かったのと、言うことを聞かなかったからだ。

 

自分がいざ手綱を引いて散歩し始めても、すぐにロッキーが走り出して引きづられるというアニメみたいな展開を現実世界で本当にやっていた。かと思えば、大工をしていた厳格な祖父が手綱を引けば打って変わってちょこんとお座り、お手のコンビ&長い舌を垂らしながらいつもより心なしかお利口さん歩きをするロッキーに子供ながら「世渡り上手め」と思っていた。

 

犬の言葉はわからないが、こっちに向かってワン!と鳴く度、「お前はちょろい!」と言われている気がした。

賢い犬種だから、こいつはちょろい、この人は怖いからいい子にしようという視点があったのだろう。

公園で遊んでいてもフリスビーより女性のお尻を追うような恥じらいもない犬だったから、アメリカのホームビデオのような世界観とはほど遠かった。

 

そんな自分に課せられていたのが夜の餌やりだった。

餌やりだから、主導権はこちらにある。餌のためならやつはお手でもお座りでもなんでもした。

昼間の元気な姿には正直うんざりするのに、餌を待てしている姿と、食べている姿だけはなんだか無邪気で可愛く感じた。

食べ終わり、満足げに舌なめずりをして心なしか笑ったような顔でこちらを見つめてくる。

その笑顔で散歩中引きずれられるなら、なんだか許せる気がしたのに。犬の気持ち良さそうな笑顔は、なぜこうも多幸感に満ちているのかだろうかと今でもふと思う。

 

毎日の餌やりは僕の日課になった。学校で嫌なことがあったり、担任に猛烈に怒られた日も変わらずロッキーに餌をやった。

ちゃんとお手、お座り、待てをさせて。

毎日接するからか、愛着が湧いた。ロッキーもロッキーで、毎日同じように僕が餌を与えるからか、次第に心を許してくれるのがなんとなくだが分かった。

僕が容器いっぱいに盛った餌をロッキーが食べ尽くすまで、しゃがんで見守る時間が何だか楽しかった。

 

数年経ったある日の朝、ロッキーが血を吐いて横たわっていたのを家族が発見した。重い心臓病と、ストレスだった。

外の小屋の隣が居酒屋の駐車場に近かったため、夜中に酔っ払いが絡んだりしてきたのがどうやらストレスの原因だった。そういえば夜中によく吠えていた。

父が人前で泣いているのを生まれて初めて見た。よっぽど思い入れが大きかったんだと子供ながら感じた。

自分はというと、当初は頭の中が真っ白になって涙も出なかったが、事実を受け入れてからは嗚咽が止まらなかった。

横たわる亡骸を見て、そのからだの大きさを改めて感じた。

あんなに苦手だったのに、いつのまにか大好きになっていた。

 

この前、ラブラドールとゴールデンの犬種を広場で見かけた。

フサフサな毛を揺らしながらフリスビーを懸命に追う姿は、やっぱり小型犬と迫力が違う。キャッチこそできていなかったが、どっかの誰かみたいにそれすらも放棄して女性のお尻を追うような犬よりか、いくぶんかましだなと思った。

でも自分は宙を舞うフリスビーより少し先にある女性のお尻を追ってしまうような恥じらいのない犬が好きだ。

 

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匂いについて

 

 

 

自分は鼻が相当良い。

5感の中で多分群を抜いて一番発達している。

その原因は分からないが、小さい頃に鼻炎を患って数年病院通いをして以来、そこから鼻の中の回路が壊れて逆に発達してしまったと思われる。だからか、よく詰まる。

 

 旅行などに行った際、その場所特有の匂いを感じる。

初めて行った街は特に。去年の夏にうどんのために初めて行った高松でも、嗅いだことないような匂いが街に漂っていた。うどんは光り輝いていて美味しかった。

スマホで高松と検索すれば、不気味な笑顔が施された高松駅やら、四国の綺麗な海を見ることができる。

でも、匂いまでは検索できない。

行ったら分かるけれど、離れたら忘れる。その場所特有の匂い。

 

 去年、香港に旅行へ行った時のことだ。

飛行機から降り、蒸し暑い外気に身体が触れたと同時に、今まで経験したことない様な匂いが僕の鼻をついた。

空港内だったからか廃棄ガスと外気が混ざり合った独特な匂いだった。

空港周辺は雲に覆われて山々が連なる簡素な景観。そこからバスで街へ向かうと、打って変わって一気にネオンや電光掲示板で光輝く国際都市といったような景観へと変わっていった。

道が進むににつれ、街が発展していく様がはっきりと見て取れる。中心部で降りると、あらゆる言語が入り混じる喧騒や、外車を乗り回す音が響いていた。

街は香水やら中心部特有の濃くて活気のある匂いがした。

あまり得意ではない種類だったが、この匂いが人々をここまでハイにさせるほど惹きつける何かがあるんだと感じ取った。

 

 次の日の市内観光で、何故か布団と枕の専門店に行った。

聞くところによると、香港で採れるゴムの性質を生かした超低反発なんちゃらかんちゃらでこれで寝るとぐっすり眠れるというので、旅行カタログなどに載るほど有名なお店らしい。

お店に入ってすぐ並べられた椅子に座らされて枕の魅力について延々と聞くという、通信販売のスタジオ観覧みたいなことをした。

説明する人の日本語が上手だなぁと思った。

本当に買う人いるのかなと思ったけれど、説明後思いのほかたくさんの人がしっかり買っていたことに驚いた。

 

当の自分はというと全く興味がなかったから、お店のふかふかのベッドの上で寝転んでいた。

そのまま布団の心地よさに体を預けてしまい、まぶたが次第に重くなっていく。その時だった。

一人のおばさんの店員さんが僕に話しかけてきた。

 

「あなた、いくつ?」

「あ、え、20です」

「20。学生さん?」

「はい」

「私の娘、同い年ね」

 

拙いが、丁寧な日本語だった。

観光客慣れしているからか、距離の詰め方がとても上手で、人見知りの僕のガードを完全に上げてしまうほどの物腰の柔らかさだった。

気づいたら自分は偉そうに頭の後ろで腕を組んで寝転がり、おばさんはベッドの縁に腰をかけて喋るというよく分からない構図になっていた。

 

「私と娘、日本大好き、セーラームーンね」

「あ、セーラームーン。姉が好きでした。」

「本当に?私たち、去年セーラームーンの個展見に東京行ったよ。そのために日本語覚えて。」

「へぇ、そうなんですか。だから日本語お上手なんですね。」

「でも日本語は特に難しいね、ひらがな、カタカナ、漢字もあるし、敬語も」

 

よく思うことだが、韓ドラの影響で韓国語を覚えたとか、そういう人たちのバイタリティの高さには本当に感心させられてしまう。

異国の文化に対する好きが興じて、終いにはその国の言語を習得してしまう。

好きだからこそ、その国の言葉でコミュニケーションを取って繋がりたくなるのだろう。

 

「東京は香港みたいね、人はいっぱいでビルは高くて、でも日本の人はなんか顔に余裕がないね」

「へぇ、そういうもんですかね」

 

香港の人から見た日本人の顔は分からないけれど、なんとなく分からなくもない気がした。

 

「うん、あなたはまだ若いから、これからまだ色々できるね~」

「まぁ、そうですね〜」

 

そろそろ時間だったからか、次の場所へ行くバスがお店の脇に着いた。

それを察してか、おばさんは立ち上がり、僕も布団から起き上がった。

あとで気づいたのだが、寝癖が付くほど寝転がっていたらしい。

 

「枕買う?」

「あ、いいです、すいません笑」

「若いから、いらないね!」

「はい!」

「あなた、頑張りなよ。人間頑張ればね、なんだってできるんだから〜」

「はい、ありがとうございます。」

 

僕はおばさんと握手して、そのままお店をあとにした。

出口で手を振ってくれたから、こっちもふり返すと、にこっと笑ってくれた。

仏のように柔和で、目元はくっきり二重で力強く、よく見たら美人なおば様だった。

 

 その後、色々な観光名所に出向いて日本へ帰国する日になったが、振り返ってみて一番心に残っていたのは、何故かあのおばさんのことだった。

おばさんの拙く丁寧な日本語は、不思議と心にスッと入り込んでしばらく離れなかった。

巨大な経済都市の一角にある、素朴な人間味に触れることができた。

飛行機の車窓から見える香港。また行く機会があったら、今度はあのお店で枕を買おうと決心した。

 

 帰りの飛行機はあっという間に感じた。機内で映画を2本見るだけで着いてしまうのだから、なんだか変な気分だった。

空港のロビーを出ると鼻を抜けるしばらく嗅いでなかった日本の匂いに、少しホッとした気持ちになった。

 

 おばさんのことは、今でもしっかり心に残っている。

香港のあの匂いをもう思い出せない。でも、きっと行けば思い出す、またいつか行った時に。

 

 

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体験について

 

 

先日、友達のライブを大学の講堂で観た。

 あまりにもライブ感があり過ぎて、ドキドキした。

音源じゃなくて、生でギターの弦が擦れる音とか、ベースの弦がボォーンって振動する音、ドラムスティックが革に当たる音とかは、フィルターを通さず心に響く。
観る前は時間に渋ってたけど、観といた方が良いなと思う感覚は正しかった。
改めて、ライブって「体験」だと感じた。いつも音源だけ聴いてるから麻痺してたけれど、久しぶりのライブにそんな感覚が蘇って来た。


友達のライブを観て、去年の夏のことを思い出した。
大好きなアメリカのバンド、weezerを観に千葉へ行った時のことだ。
真夏の野外、物凄い熱気が漂う会場。
メンバー登場を今か今かと待ち望んでいる僕の左側には半身半裸、おまけにタトゥーまみれのアメリカ男児達、目の前には日本の社会人らしい男女で軽くウェイウェイしてる人達がいた。チャラめの男の方が軽く女の子を口説いてる気がしたけれど、そんなことはどうでも良かった。
ライブは久しぶりだったけど、やっぱり好きだと思った。

メンバー登場の前の僅かな緊張感が1番心弾む。
そして、メンバーが登場するや否や、割れんばかりの歓声が巻き起こる。

僕はメンバーが登場して来て、今から目の前で演奏してくれるという事実だけで既に感動をしていた。

高校時代、毎日僕の耳元で爆音で鳴り響いていた音が、今から目の前で鳴らされる。
演奏が始まり、ギター音が鳴ると、感動はもう1段ギアを上げ、感激の域に達する。一方、左側のアメリカ男児達は始まるや否や、半裸タトゥー姿で訳の分からない奇声をあげていた。

これが自由の国のリアクションなんやと、肌で感じた。

 

照明を眩しく感じる感覚、上昇する熱気、したたる汗、立ちっぱなしで次第に痛くなってくる足。自分に向けて演奏してくれてるのではという錯覚。全てひっくるめて「体験」だ。

 

ただ僕はある一点に憤りを感じてしまった。
目の前で観ていた社会人集団に。
iPhoneの動画で終始冷静にライブを撮りながら観ていた。そして、すかさずSNSに投稿をしていた。

その光景に、何故か興醒めてしまった。 

  しかし、現実はというと、お構いなしにウェイウェイ動画を撮り続ける社会人、その後ろでは思っていることが届かないまま悶々&撮ってる手が邪魔で1人でブチ切れてるけど演奏に感動して鼻水まみれの青年、そんな青年を横目に、曲が終わっても病的に発狂し続ける半裸米人という構図。

お前らに関してはただ発狂しに来たかっただけだろと、もし英語が話せれたら流暢に問いただしたかった。

 

でも、社会人の人達が、悪いわけではないと思う。現代の感覚としては当然だ。かく言う自分も割と携帯で撮ってしまうタイプの人間だから、気持ちもわかる。

 

でも、本当に好きな音が鳴ってる時に、自分は携帯に手がいかない。ライブだけは極力動画を撮らないようにしている。
何故なら「体験」だから。「体験」はデータに残さない。

いくら手軽に発信できる時代だからといって、その場で実際に音を浴び、詩を浴び、色鮮やかな照明に魅せられ、耳をつんざくような歓声と一体になるという身体的な体験と、訳もわからず感動して涙が出るという心の体験は、感覚として心身に残る。

その体験にお金を払っているといっても過言ではない。

 

こんだけ言っておいて、ライブ中にルンルン動画を撮ってる僕を目にしたら、それはホラーです。

 

それにしても、なんであんなにキレてたのだろう、暑さかな?と、書いてて考えてみたけれど、単純に手がファッキン邪魔だったのと、隣の狂米人達がだんだん鬱陶しくなったからだと特定できた。怒りの原因は、後々冷静になった時、特定できる。

 

思い入れの大きさとか、好きの度合いとかで決まっちゃう点もあるかもしれないけれど、なんとなく友達のライブを観て、そんなことをふと思い出した。

照明の関係か、3人は眩しかった。
ボーカルのMCを除いて。

 

ちなみに、ライブが終わった後の感覚も好きだ。

あぁ、終わっちゃったって感じるけど、フワフワした多幸感は、しばらく心に残るから。

データとして保存できないから、追体験できないけど。

 

 

 

*これだけ言っといて、じゃあライブ映像は?とか言われたら閉口するしかないです。それはまた別の話。

 

 

 

 

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子供について

 

 

成人式シーズン。

 

去年成人式に行って色々衝撃を受けた。

中でもびっくりしたのは、結構沢山の同級生が結婚、はたまた子供がいるということだった。結婚をしているというのでも中々衝撃なのに、子供がいるとなると、その威力は倍増される。

仲が良かったり、昔好きだった女の子とかだったら尚更。

 

だいたい成人式の段階で結婚してたり、子供がいたりする子達は昔やんちゃしてた子が多い印象だ。

偏見かもしれないけど。

 

でも1人、Aは違った。

Aのことを知ったのはちょうど成人式シーズンの時だった。

話は遡り、Aと僕は高校の同級生で部活が一緒だったところから仲良くなった。入学当初、あまり馴染めずにいた僕とくだらない話を一緒にしてくれた心優しい好青年だった。でも、頭は硬かった。教頭先生みたいに真面目で賢くて頑固だから、よく友達と喧嘩していた。今思えば性格も全然違う僕とよく仲良くしてくれたなと思う。

 

いつも通り部活をしていたある日、Aくんは僕に告白してきた。「好きな人ができた」

 

何故か僕がテンション上がった。こんな真面目人間で頭が硬いやつでも女子のことを好きになるんだなと青春を感じた。よく、○○ちゃんは可愛いとか、胸が大きい、とか冗談まじりの話は一緒にしてたけど、好きという単語を聞くことは無かったから、正直驚いた。

 

Aは僕に色々聞いてきた。告白するべき?なんて言うべき?いつ言うべき?今思えば全部「知らんがな」の一言で片付けられるような案件だったけど、部活しながら真面目に僕ともう1人の友達で相談に乗っていた、

 

そしてAは告白した。

 

返事はなんと「OK」

 

Aより僕の方が驚いていた。色々Aから聞いてるところからしたら、どうやらその子は好きな人がいそうで、片思いで、なんちゃらかんちゃら。

これは厳しそうだな…と感じていたから、まさか付き合えるとは思っていなかった。

告白の内訳は聞かなかった。Aのことだから、シンプルかつ真面目に告白したんだろう。

 

そこから、Aは変わった。

 

あんなに真面目でクール風だったAが、恋の病によって盲目でチョコレートのように甘々な恋愛人間に変わった。部活でのプレースタイルにも現れていた。常に真顔なのに、廊下とかで会っても心なしかニヤニヤしてる時が多く感じた。

恋って凄いなと感じた。恋は人を変えてしまうことがあると、その時強く感じた。

 

話は必然的に初デートの話で持ちきりになった。

どこ行けばいいかな?何食べればいいかな?プリクラ撮るべき?俺苦手なんだよ…。チューとかって?

プリクラに関してはマジで「知らんがな」と言ってしまったが、とにかく盛り上がった。

 

後日、Aは初デートを無事終えた。

 

その時、彼女と撮ったプリクラを見せてもらった。あまりも全部真顔で、恐らく彼女が施したであろう可愛いデコレーションと真顔との対比が面白かった。これは狙ってデコレーションしただろと思った。Aの緊張を十分プリクラから感じ取れた。

 

Aとは対照的に彼女の方は満面の笑みでAの肩に頭を乗っけていて、あぁAのことがほんとに好きなんだなぁと思った。

 

それから1ヶ月しないうちに、何故か2人は別れてしまった。

 

Aは抜け殻のように生気が抜けてしまって、正直可哀想だった。別れて数週間しても、Aの彼女に対する好きの気持ちが収まらず、よく相談に乗っていた。

地獄のような期間が続いた。いつものテンションでAに話しかけてもリアクションは芳しくなかった。

恋は人を悪い方にも変えてしまうなとも思った。

 

そこらへんから僕は部活に行かなくなったため、必然的にAと喋る機会も少なくなり、1.2年と経ち、そのまま卒業した。

 

成人式前後の飲み会である事実を知った。

Aはどうやら受験に失敗し浪人をしているということは人づてに聞いていた。久しぶりに会ってあの時のこととかを笑い話にして飲みたいと密かに思っていた。

しかし、友達に耳を疑うようなことを聞いた。

 

「A、浪人中に結婚したらしいよ」

 

へ?と力の抜けた声を出してしまった。何を言っているのか意味が分からなかった。極め付けの言葉は

 

「そんで、子供もいるらしいよ」だった。

 

結婚でも意味が分からないのに、子供もいるという事実をもろに顎からもらったため、頭が混乱した。

 

ケンタは

こんらんしている!  

 

何故なら、あのAが…だから。あのクソ真面目で、どうやって告白するの?とかプリクラとか撮るのかなぁ?とか真顔で僕に聞いてきたAが。まさか、結婚して子供がいるなんて。

正直信じられなかったし、信じなかった。

 

しかし便利な世の中というか、なんでも知れちゃう世の中というか。友達がAのSNSを見せてくれた。

 

そこに写っているのは、高校の頃のプリクラと何も変わらない、あの硬くて真面目な真顔でピースをするAと、その隣で幸せそうに笑うAの奥さんであろう女性。その女性の両手にスヤスヤと気持ちよさそうに眠る赤ん坊の姿だった。

 

ちょっと待ってくれ。

 

高校の頃は正直

「ったく、恋愛初心者が…」なんて思っていたが。

 

(*今思えば、よく当時の自分はその少ない女性経験を前面に出してデカイ口を叩いていたなと思う。)

 

あのAが。

 

周りの友達はあまり触れちゃいけないような雰囲気でいじっていて、正直自分もその場ではそのノリに便乗してしまったが、心の奥底では「やりやがった…。」としか思えなかった。それ以外の感情は正直なかった、あるなら

「相変わらずの真顔」だった。

 

しかし、そのSNSである一枚だけ、Aが笑ってる写真があった。

それは、Aの赤ちゃんとAがドアップで映ってる写真だった。撮影者は多分奥さんだろう。

 

赤ちゃんは気持ちよさそうに眠っていたが、Aは笑っていた。高校の頃、くだらないことを話ている時でしかほぼ見たことなかったAの笑顔。

 

あのAを笑わせてしまうのだから、よっぽど赤ちゃんが可愛いくて好きなんだろうな、と思った。

 

その時はAに会って、話を聞きたいと思ったが、周りの友達もAとまったく会っていないらしい。多分だけど、Aのことだから色々周りに話すのが煩わしく感じているんだろう。頭が硬いから奥さんも苦労してるだろう。

 

けど、幸せに暮らしていると思う。

初デートは何食べるべきかなんて聞いてきたAが、自分と奥さんと家族とで真剣に考えて、悩んで、下した決断なんだから。結婚も出産も、相当な覚悟がないとできないと思う。経験したことないから、未だに想像力が働かない。でも、幸せに感じる瞬間が沢山あるんだろう。毎日幸せって訳じゃないにしろ、帰ってきて、子供の寝顔とか見ると、何だか幸せに感じるみたいな。そういう小さな幸せが日常に散りばめられてるんだろうと思う。分からんけど。

 

 

小さい子供を抱えている若いお父さんとか見ると、たまにAを思い出す。それがAに似つかわしくないような昔やんちゃしてました系の人達でも。その人たちはその人たちなりの愛情で、子供と向き合っている。

 

 正直子供が苦手だ。可愛いなぁって思うことはあるけど、喜怒哀楽が激しくて、エキセントリックな動きするからなんか怖いと思ってしまう。

徐々に克服できたらいいっす。

 

結婚の選択に迫られたら、今度は僕がAに色々聞くことにしよう。プロポーズとかって何て言うべき?とか。

多分聞かないけど。

 

 

お幸せに

 

 

 

(成人式シーズンに結婚して子供がいる人はやんちゃな人が多いなんて偏見を持ってしまってごめんなさい成人式に子供を連れてきてた人の風貌を見てそう思っちゃったんですごめんね)

 

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